May 11, 2009

熱い想いと手入れの行き届いたモノは伝承される…

映画『グラン・トリノ』を観てきました。まさに現代版ウエスタン映画でした。

特にウェスタン映画を連想させるのは床屋でのシーンからラストにかけてのシーン。様々なウェスタン映画でも床屋のシーンがありますが、“グラン・トリノ”ではさながらクリント・イーストウッド演じる頑固老人ウォルトは意を決した決闘前のマカロニ・ウエスタンの様でした。
いつも気心知れていた床屋の親友にも散髪しかさせなかったのに何も語らず髭を剃らせたことで、そこには生と死に対しての決意が秘められていた気がします。

かたくなまでに自身の生き方を貫くウォルトの生き様は、クリント・イーストウッドが関わってきた映画で訴えてきた社会問題(戦争、犯罪、家族、人種差別…)を一気に再びフラッシュアップさせます。しかしながら現代社会で解決しえていない問題を一気に連想させる一方で、想いのこもった愛車“グラン・トリノ”が引き継がれラストで遠く街に消えていく様子は、若い世代に希望を託していることがわかります。
荒野に自分が育てた若いカウボーイがサラブレッドにのって走り去るように見えました。グッと考えさせられるところがイーストウッドらしく渋いです。

自身の仕事に誇りを持ち、携わった仕事の結晶である愛車“グラン・トリノ”を手入れするために数々の道具をガレージに揃え何年も大切にしてきたライフスタイルは、今の社会ではあまり見受けられなくなってしまっています…。
今の便利で楽なライフスタイルがよいのか悪いのかわかりませんが、車の購入意欲すらない現代の草食系男子にとっては道具にこだわり大切なモノをずっと手入れし続けるライフスタイルは、スマートでなく不器用な生き方なのかもしれません。

家の手伝いやメンテナンスについてもその傾向にあります。映画のストーリーの中でウォルトが少年に家の手入れの仕方を教える場面がありましたが、やはり現代社会が忘れかけているライフスタイルの一つでしょう。

思えば伝統ある名建築は当然そこに携わる人たちが想いをこめてメンテナンスを繰り返してきたからこそ今そこに存在しています。
また今、老舗旅館での仲居さん達の“おもてなし”が秘かに注目されていますが、それは直接宿泊客に対する接客態度そのものでなく、そこに行きつくまでの日々の陰なる老舗旅館への想いのこもった手入れのきめ細やかさが原点である点に注目しているのです。
日頃のそうした心をこめた手入れができていなければ、宿泊客の接客などはできる訳がないという老舗旅館の女将さんの考えが実はそこにあり、だからこそ老舗旅館にリピーターが健全に存在しているというのです。

不器用ながらでもキチンと気持ちをこめて家や建物の手入れをする。大事なことですよね。伝承させねばいけない建築文化です。

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May 01, 2009

荒々しくも丁寧につくられたテクスチャー

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以前にも紹介していましたが、大好きな建築のひとつに軽井沢の“石の教会”があります。設計はフランクフロイド・ライトの弟子であるケンドリック・ケロッグ。星野リゾートの中にあります。しばらく行っていませんでしたが、数年前から外構が少し整備されていたんですね。

既存の石の教会がのファサードに合わせて、外構の構築物も連続的な同様の荒々しい躯体打ち放しの仕様とするために、ラス型枠をうまく利用して建築されていました。
荒らしいファサードですが、丁寧に作られているのがよくわかります。

また、打ち放しコンクリートの仕上げとなると普通は無機的なものとなってしまいますが、よくここまで有機的に仕上げたものだと感心してまいます。
設計者の意図を組んでその意志が伝承され、建築物の周囲にぴったりと当てはまる外構を整備され環境を整備していくことの時空を超えた事業にグッときてしまいます。

有機的建築を目指す方やフランク・ロイド・ライトのファンの方は是非、実際に訪れてご自身の目で観て戴きたい建築です。

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April 17, 2009

“建築”を通じて知る感動と夢の喜び

ひょんな繋がりからある方を通じて知った「D-School」。
~夢を抱く世界の子供たちに投資をする「D-School」プロジェクト~の第一弾の企画である“みんなで寄付金をあつめて学校を建ててしまおう”というプロジェクトがついに実現しました!というお知らせが、このほど幹事さんからのメールで知りました。

フィリピンに「ヒパラヤン小学校」の校舎が完成したとのことです。その落成式の様子が「D-schoolブログ」で閲覧することができます。地域の人達が総出で学校建築の落成を祝い、喜ばれている様子は感動ものです。

わずかながらですが小生も寄付金を出資しており、「D-schoolブログ」を通じてその感動を分けていただくことができました。寄付者の名前が刻まれたネームプレートは、学校の壁に半永久的に飾られます!とのことで、恥ずかしさ反面、嬉しさ反面…。
でも率直に“建築”を通じて多くのひとに感動や夢を与えることができるのは、なんとも言い難い喜びです。

今、日本の学校建築においても実は課題がいくつかあります。そのひとつが「耐震化」の遅れ。必要なものにスピーディに投資されない日本の現在の公共事業。海外の建築投資に関わるチャリティの経験から、日本において何か忘れかけているものを感じました。

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March 01, 2009

不便さが真のコミュニケーションをつくる

今朝のテレビにて安藤忠雄氏の事務所の様子について紹介されていました。
先日聴講した『安藤忠雄/組織の条件 リーダーの条件』の講演でも安藤氏自ら話をされていましたが、安藤忠雄氏の事務所のレイアウトは、出入口付近に安藤氏が居座り、そのすぐわきに5台の電話とFAXそれに唯一メールのできる1台のパソコンがあるのだそうだ。

ですから、事務所に誰かが訪れたときも所員が出かける時も、電話での仕事のやりとりなどすべてその様子を傍で肌で感じ取りながら仕事をしているのだそうです。そして、所員が外部とコンタクトしているときの様子で仕事が順調にいっているのかどうかがすべて安藤氏はわかるといいます。実にアナログ的です。所員の方々もそんな安藤事務所を“道場”と語られていました。
でも、そういった不便さから所員間や師弟関係の真のコミュニケーションと信頼関係が生まれるのではないかと感じました。

メールのやり取りでだけでは、相手が本当にどのように思っているかわからない。だからメールのやりとりは極力限定してしまう。あくまでも生の声での会話が主体。国際的に活躍されている為、当然英語教育にも熱心で、所員と一緒になって英語のレッスンを受けている様子も紹介されていました。
安藤氏は“心と心と心が通じ合うコミュニケーション”が今の時代必要であると語られています。

一方、先週の新聞報道で、子供の携帯電話の使用実態について文科省が調査結果をまとめたものが発表されていました。それによると、中学校の3人に1人が1日30通以上ものメールのやり取りをするなど「携帯依存」の様子が浮き彫りになっており、親子間の意識のズレが生じていることが指摘されていました。
掲示板での悪口を書かれたり、迷惑メールに有害サイトへのアクセス。簡単かつ便利に外部とのコンタクトがとれる弊害として様々な問題が発生しています。

昔のことを言ってもしょうがありませんが、我々が若い頃は恋人と話を電話でするために大変な苦労をしていた一方で、話せたときにわずかな時間のなかで気持ちのこもった会話をしていた様な気もします。
真のコミュニケーションができていない世代への携帯電話の利用ルールは、やはり親が安藤忠雄化しないとダメな気がします…。

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December 01, 2008

原点の空間から感じたこと

Ando_tadao_kenchiku_tenギャラリー間で開催されている『安藤忠雄 建築展』に行ってきました。
もちろん話題となっている大阪下町の「住吉の長屋」の原寸大模型を拝見するのが最大の目的です。

でも、拝見するまではあのギャラリー間の空間でどのように展示してあるのだろうと不思議に考えていました。
わくわくしながら、展示スペースに入ってみると、大胆にも3階の中庭と展示スペースを突っ切って展示されているのに驚きました。
なるほど...。思い切った展示に関心です。

また、原寸でも模型であるにもかかわらず、一部に本物のコンクリートの打ち放しを用いていましたのでさらに驚きました。(安藤忠雄氏も本物と同じくらいコストがかかったのでは?とコメントしたそうです。)
全体の8割くらいでしょうか、実際にはラワン合板でその模型は実際に構成されていましたが、打ち放しの型枠割り付けとPコンの割り付けは忠実に再現されていました。

空間構成は雑誌等で周知していましたが、実際の空間をこのように体験できるのは大変貴重である気がします。
というのも安藤忠雄氏もコメントしているように、現在設計手法は便利にもデジタル化され、なかなかアナログ感覚に空間をとらえる機会が少なくなってしまっているからです。

[挑戦―原点から―]という展示のサブタイトルでもあるように、この空間に安藤忠雄氏の原点があるのだな…と思うと感激です。また施工当時に描かれたと思われる設計図の青図も展示されていいました。本人ではなくスタッフによる作図せすが、ていねいに詳細を描いた手書きのタッチが印象的でした。

コルビジェが閉鎖された空間の壁からトレミングされた開放的な空間へのこだわりが強かったののに対して、安藤先生はドライエリア建築的に閉鎖された空間から天窓へ広がる空間へのこだわりが強いのではないかと以前より考えていましたが、それを実感した様な気がします。

また他にも「光の教会」の模型や計画中の「モンテレイ大学RGSセンター」や「アブダビ海洋博物館」の模型が図面やコンセプトとともに展示してあり、閉ざされた空間から空に抜ける空間へのこだわりがわかりやすく表現されていました。

展示会にたまたま私が行った時は秋晴れの時でしたので、今度は開催期間中の土砂降り雨の時になんとか都合をつけて、リアルな空間を体験させて戴こうかなと考えています。
東京では、12月20日までの開催となっています。


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September 27, 2008

アナログ的イラスト画法の勉強法

先日、手書きパースを紹介しましたが、建築に携わる者としては当然アナログ的な絵のセンスが必要です。
その絵のセンスを磨く上で、ここ最近たいへん勉強になるのが、YouTubeにみる「Speed Paiting」。
みるみるうちにリアルなイラストを描き上げていく様は、圧巻です。

ひとつ紹介しておきますが、本日から封切りされた映画「アイアンマン」をモデルにした「Speed Paiting」。
グラフィックソフトでデジタル画像として描いていますが、そのタッチはアナログ的な感性そのものです。

タブレットを使用して描かれているのは間違いないでしょうが、描くリアルなタッチはホントに凄いです。
是非多くの方にイラストを描く臨場感を味わっていただきたいです。

描く速さは速度を速く巻いている映像にしたいていますが、それにしてもこんなに上手にリアルに描けたらどんなに楽しいでしょう…。

YouTubeでは、他にもいろんな「Speed Paiting」を探して見ることができます。神業に近い絵心を持った方が世界にはたくさんいらっしゃるのですねぇ...。それにも驚きです。


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September 01, 2008

味のある手書きパースの魅力

Exhibition2008銀ブラしていたら伊東屋の9Fギャラリーで日本アーキテクチュアル・レンダラーズ協会主催の「建築パース2008展」が開催されていましたので、拝見してきました。
私的に大変気に入ったののは海法一夫氏の手書きのパースです。特に社寺建築のパースが日本らしさを演出する侘(わび)寂(さび)の風合いを出した色づかいで描かれていました。

3DCADが幅を利かす今の時代。非常に温かみを感じる作品にアナログの良さを再認識したひと時でした。こんな具合にパースがサラサラっと描けたらいいでしょうね。
「建築パース2008展」は、東京では3日水曜までの開催ですが、その後大阪~名古屋~九州(熊本)で開催される予定です。

【参考】海法デザインWEB:http://www.kaihoh.com/Main.html

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January 07, 2008

北斎パワー圧巻...

Hokusai_ten_2まだお正月気分が抜けず、日本的な文化に触れたくて現在江戸東京博物館で開催している『北斎展』の特別展示の数々を拝見してきました。

冨嶽三十六景等で知られる江戸時代の絵師ですが、その多くは版画でしられていますが、今回の特別展示では肉筆画を間近で観ることができるのが大きな特徴です。

版画とは違った深みのある色のグラデーションのつけ方や鮮やかな原色を用いた肉筆画は、弟子たちが描いたものとその技量と絵心の深さの違いを比較してみることができ大変興味をひきました。

江戸時代ですから当然写真等のメディアのない時代に、こんなにも音が聞こえてきそうな風景描写や動きのある風俗描写を筆にてできるものだと、ただただ感動…。なんと言っても北斎の場合は、遠近感を前面に出した構図のとりかたが天才的というか、神業的に感じます。

冨嶽三十六景の駿河湾の大波の狭間から見える富士山を描いた『神奈川沖浪裏』は、誰しもが知るその代表的な構図です。他にも冨嶽三十六景には意外な空間から見える優美な富士山を描いています。また、そのように描くことで江戸時代に働く人の姿や風俗・文化を浮き彫りにして表現していたのでしょう。

そんな冨嶽三十六景の中でも、建築と富士を対比的に描いている代表作『東都浅草本願寺』は私の大好きな作品です。近景に見えるおおきな屋根の勾配と遠景の富士山の優美なスカイライン、それに加え江戸の町の甍の上の空間に粋に浮かぶ凧が描く糸のラインとが見事に調和し、江戸の町の雰囲気がよく伝わってくるです。よくみると屋根の上で懸命に仕事をしている職人さんが描かれています。

Hokusai_manga_ten_2版画の一つ一つの作品は想像していた大きさよりも小さいものでしたが、観ていくうちにその作品の多さにも圧倒されてしまいました。ひとつひとつの作品で観る、繊細な線の引き方とその潔さ、色の変化やぼかしのつけ方の粋な技量は、写真や復刻版でみるのと全く異なります。

さらに驚かされたのは、北斎漫画を描いたのは55歳の時で、冨嶽三十六景をまとめたのが72歳の時であったと知ったことでした。老年期に自身を「画狂老人卍筆...」と名乗っていただけに、北斎の絵に対する熱いパワーを直に感じます。特に80歳を超えて描いた掛け軸の『雪中鷲図』は、北斎の全身全霊をかけて描かれた作品の様に感じ、呆然と立ち止まって見入ってしまいました。

デジタルツールの発達した今の時代、北斎の圧倒的なアナログ的パワーを見せ付けられ、現代において足らないものをおしえていただいた気が致しました。江戸文化が生んだ北斎、日本の誇りですね。

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December 11, 2006

超アナログ感覚の建築写真!

本城直季氏の写真がおもしろい。もう既にTVや雑誌で取り上げられていますが、実際の街の風景をミニチュア模型の様に撮影する写真家です。彼の作品を初めて知ったのは藤森照信氏の書籍でした。もっぱら初めてみたときは建築模型であるとかたくなに信じていましたが…。

でも、実際の風景を4×5(通称シノゴ)の超アナログ的なカメラで撮影する技量であることを知ってびっくり。この数ヶ月の間にあっという間に各メディアで紹介される中、彼の作品の数々に触れながら、詩的な繊細な観察眼の鋭さに惹かれていきました。

彼の作品をみていると、なんか自分がガリバーにでもなったような気になってしまうのが不思議です。俯瞰的に街や建築物を大きな気持ちで眺めている感覚は、チョッとした日頃の些細な出来事なんてどうでもよくなってしまう心の大きさを知らせてくれる感じです。

先日TV出演していた本城直季氏を拝見しましたが、質実かつ1枚の写真を撮るためのタイミングに対する熱さを知り、ますますファンになりました。というのは、簡単に撮影している様で実は構図にたいする執着心がすごいのです。まるまる1日かけて人や車などの動きや影の形にコダワリをもって撮影しているのです。

最新の日経アーキテクチャでも紹介されていましたが、作品で表現される瞬間を「都市のウソっぽさを表現したい」と主張する彼のアナログ感覚の鋭さは、本当に見事です。今後の多く新しい作品が発表されるのが楽しみです。

 

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August 26, 2006

防災に対するアナログ的体験のすすめ

このあいだ映画「日本沈没」をみてきました。大きなスクリーンで観る日本沈没の映像が印象的でした。

防災の日が近づいていることもあり、やはり大地震の映像から防災への関心がますます高くなってきているのと、昨年来の姉歯建築士を発端とした構造偽造問題からも、その関心は国民的なレベルとなっているのを実感します。

でも、「日本沈没」ではSF映画という先入観とキャストのカッコよさから、その映像から防災に対する危機管理意識は残念ながら強く沸き起こらないかもしれません...。

建築に携わる技術者としては、防災に対するアナログ的体験として是非おすすめしたいのが、「人と防災未来センター」での体験です。なかでも防災未来館『1.17シアター』での映像体験と震災直後の破壊された町並みを再現した実物大ジオラマが凄いです。

こちらは、1995年1月17日に発生した『阪神・淡路大震災』の実経験をもとに作成されたものですから、映画で感じる地震の怖さの50倍以上はあるでしょう。また、そこから感じる防災意識は、阪神・淡路大震災を体験していない者でも、かなり高いレベルの防災意識が脳裏に焼きつくと思います。

「人と防災未来センター」のWEBでは「阪神・淡路大震災の経験と教訓を後世に継承し、国内外の災害による被害の軽減に貢献する」として施設様子が詳しく紹介されています。大地震の再現映像の一部もそこで確認できますが、こうした体験は、是非施設でアナログ的に学習したいものです。

こども達に対してもわかりやすく、阪神・淡路大震災の恐怖体験をしてもらう一方、防災に対しての対策や情報を提供している施設です。防災に対する意識力、危険予知力が高められるのではないでしょうか。

一方、NPO法人「東京いのちのポータルサイト」の活動でも「人と防災未来センター」の作成の「5:46衝撃映像」のダイジェスト版が紹介されています。6月17日に開催された「第4回耐震フォーラム」にも出席しましたが、やはり紹介されていました。

東京いのちのポータルサイト」が主催する「耐震補強フォーラム」で指摘している防災に対する活動も注目されます。その趣旨概要は、阪神・淡路大震災発生時の最初の14分間で96.3%の方々が亡くなったデータと、死因は、窒息、圧死、全身打撲など、住宅の倒壊が原因であるデータを重要視し、住宅の耐震補強をすすめていることです。倒壊による被害の減少を説く一方、火災の発生原因を抑えることを強く主張しています。

大災害は経験したくありませんが、地震は防ぐことはできません。でも地震を起因とする災害を最小限にとどめる工夫は、地域や街、それに個々人の意識からでできると思います。悲しい本当の災害に遭遇するまえに、防災意識を高め「人と防災未来センター」等でのアナログ的体験をしておくことをお勧めしたいです。

人と防災未来センター」 : http://www.dri.ne.jp/
東京いのちのポータルサイト」 : http://www.tokyo-portal.info/index.html

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March 22, 2006

『建築現場技術者心得』:引越し!

tower_clane“建築現場技術者心得”を記載していましたが、
現場の力』というブログを新設し、
そちらのほうへ引越ししました。
チョッと内容が、『気ままに…』とは合わなく、
コラムの内容がごちゃごちゃになってきてまいそうでしたので…。

『気ままに…』のほうも、がんばって書いていきたいと思います。
こちら『気ままに…』は、
建築に興味のあるかたを対象に、
『現場の力』は、
建築技術者対象やすこし専門的なコラムを中心に分けてこうと思いました。
そのほうが、読んでくださる方が、読みやすいのでは…、と感じまして。

忙しさのあいまに、過去の記事も多少整理をしていきたいと思います。
熱心にご愛読していただいている方をこころの支えに努力していこうと思います。
整備中は読みづらく、ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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March 09, 2006

建築技術者の倫理はどこで食い止めるべきか?

時代がすすんでも未だに『建設業』のイメージは向上しないのが、とても残念です。構造計算偽造をはじめ汚職・談合・天下りの問題を抱える業界にとって当然のことかもしれません。

しかし、マイナスのイメージが『建設業』から『建築』そのものにも印象を与えているのに、昨今不安を覚えたりもします。それは、『建築』自身はもっとピュアなところからカタチが創造される、と信じている為です。

技術者倫理を確立するために、建築士の資格制度や建築基準法などの改定などいろんな仕組みやチェック体制を敷こうと検討されていますが、本来そのようなものがあってはじめて技術者や建築関連事業者の倫理が保たれるのは、少し残念でなりません。

でも、どうしたら『建築』に向かうこのマイナスのイメージを食い止めることが出来るのでしょうか?

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November 01, 2005

歴史的天才の手稿に圧巻...。

davinchレオナルド・ダ・ヴィンチ展」で天才ダ・ヴィンチの残した「レスター手稿」を見てきました。暗い部屋でぼんやりとした点いたり消えたりする照明のもとで怪しげに展示されていました。これは怪しげに見せるための演出ではなく、「レスター手稿」が照明等で色あせたり明かり焼けをしてしまうのを防ぐためだそうです。

Continue reading "歴史的天才の手稿に圧巻...。"

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May 15, 2005

◆危険球を退けたヘルメット

つい先ほどのTBSの週末ニュース解説番組「ブロードキャスター」で、先日プロ野球のセパ交流試合でジャイアンツの清原選手が危険球を受けた話題を放送していました。その解説で詳しく紹介されていたのが、ヘルメット。危険球を受けた清原選手がそのとき使用していたヘルメットの塗装は、大きく剥れその衝撃の強さを示していることはスポーツ新聞等で話題になっていました。しかし、そのヘルメットうが西武時代から使用していたものであることをこの放送で初めて知りました。

TV映像に映るヘルメットの衝撃で塗装が剥げた部分は、確かに西武ライオンズカラーの鮮やかなブルーでした。清原選手は西部ライオンズ時に使用していたものを独自に黒く塗装してジャイアンツ仕様に変えていたのです。また、そのヘルメット自身も1980年まで西武ライオンズ時に野村克也氏が使用していたものだそうです。清原選手が入団当時に頭のサイズ合う大きなヘルメットが無く、たまたま野村克也氏が使用していたものとサイズがあい、それを使用し大切に使用し続けたと言うのです。

スポーツニュースで危険球を受けた時のスロー映像を見るたびに、間一髪のところで上手く避けている清原選手の瞬発力と首の強さに驚いていましたが、その報道でヘルメットにも守られたたんだという実感も伝わってきました。ヘルメットにも清原選手の魂が宿っている一方、大げさに言うとヘルメット自身にも何か清原選手を守ろうとする意思が働いていたように見えてきてしまいました。

このブログでは建築関連について話題としていて、「スケルトン&インフィル」でその相互関係についてメンタル的な面が大きく作用することを書いている途中ですが、道具についても同様に、ひょっとしたらヒトの熱い意思や魂が宿り、相互の精神的つながりを生み、そのヒトの行動力を大きく作用させるパワーがあるのかもしれません。

人間が社会的活を営む上で道具は、多種多様にわたり欠かせません。道具自身の進化や発展もめまぐるしいものがあります。新しい機能性にとんだ道具が登場するとどうしてもそちらに目や気が移り、変えたくなるのが日常です。ですが、ひとつの道具を大切に手入れしながら使っていく道具との付き合い方は、すばらしいことだと再発見しました。日本人は古く「八百万の神」として、森羅万象のものに魂が宿っているとして、ものを大切に扱ってきた歴史があります。
思えば、自分で使っている車や時計、ゴルフや釣りの道具…等等、大切にしていますか?清原選手を見習いたいですね。

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March 20, 2005

秀作カードゲーム『魚魚(とと)あわせ』

カードゲームですばらしいものを見つけました。『魚魚(とと)あわせ』といって、魚偏の漢字と色とりどりの千代紙・色紙の切り絵を使った絵合わせのカードです。まず、デザインが美しい。日本伝統の色彩を見事に魚の鱗の表情にあわせてデザインされ、魚たちの新鮮さと生きのよさが伝わってくる感じがします。魚が躍動しているような感じです。形も繊細かつシャープに切り込まれ、江戸工芸品を思わせたり、バランスのいい建築的な構図となっています。

カードは少し厚めで、魚偏とつくりに分かれて2つに分けられたカードは絵合わせと共に文字合わせの遊びが出来るようになっています。遊び方が同封の説明書にありましたが、そのほかにも遊んでいるうちに「坊主めくり」風の遊びも自然に考え出したりして、創造性をくすぐるカードゲームです。もちろん「ババ抜き」や「神経衰弱」的にも十分遊べます。外人の方にも喜ばれる和風で粋なデザインであり、遊び方もボーダレスではないでしょうか。

日本近海の各地方の美味しい魚を紹介するために数種類のカードデザインが用意されていますが、デザインに魅かれて我が家では紀州和歌山のカードを早速買ってしまいました。小さい子供やお年寄りにも楽しんで遊べます。カードというより「絵あわせ歌留多(かるた)」といったほうが合っていっるかもしれません。カードそのものも遊びもアナログ感覚で十分に楽しめます。

販売元は㈱北星社、製造元は㈱環境総合テクノスです。WEBサイトの紹介が取り説にありましたので、載せておきましょう。『魚魚(とと)工房』 値段も手ごろでピカイチお勧めです。このカードを見つけたのは新宿小田急のITOYAでしたが、WEBサイトにて通信販売もしていました。

今の時流にナカナカ見つけられない温もりを感じさせるクラフトで、実物の切り絵を見たくなってしまいました。

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March 01, 2005

◆建築設計者と現場技術者に今強く思うこと(後編)

やはり若い現場技術者にあれっ?と思うことが多い。現場監督員がまともな図面チェック能力や現場の段取り、工程表の作成、施工計画ができなくなっているのが目立つのだ。適当な工程表を描けばあとは専門工事業者のみなさんがやってくれると勘違いしているヤカラが多い。現場を納めるには当然ディテールを的確に判断する能力が必要である。しかし、それができていない。

先に述べたように、見てくれだけの設計図やどこかのメーカーに描かせそっくり取り合いも考えずに引用したいい加減な設計図が目立つわけだが、その設計図を現実化するために施工図とする能力が劣ってきている。施工をする為には当然つくりこむ順序、作業をするための姿勢を考慮し、設計者の意図するものを実現化させるわけであるが、造りこむ為の技術もガタガタといった具合である。

建設業界も最近かつてとは違って現場でも監督員ひとりに1台ずつコンピューターが用意されている。高度情報化の時代であるから仕方が無い。時代の流れに乗るのは当然であろう。日々会社からの通達や最新情報、CADデータの送受信をインターネットやメールを通じて行っている時代になった。現場監督は大忙しである。

しかし、ここで今気づいて欲しいのは、それらの殆んどの業務に「思考する」ことが含まれていないことだ。プロバイダーのように、来た情報をそのまま次の部署や他部門へ流しているものが殆んどなのである。現場監督が「思考する」ことを避けている様に見える。ただ現場のなんとなく次の作業の手配を携帯電話でしているだけの段取り屋になっている者が多いことか...。テレフォンエンジニアと呼ばれても仕方がない。おまけにISOのこともよく理解せずに、ただ書類を整備することが品質管理であると勘違いしている者もなんて多いこと。

「ものづくり」はもっと拘ってワクワクしながら行いたいものである。幼い頃にプラモデルや模型を作った経験の持ち主であれば、どうしたらあの店頭のガラスのショーケース飾ってある様なスゴイものができるのか、一生懸命、工夫した経験があると思う。その工夫が「ものづくり」の「思考力」である。「ものづくり」が好きであるから建築の道を選んだ者が多いのではないだろうか?また、設計者や現場技術者に今必要なものはそういったワクワク感を導く「思考力」なのではないだろうか。

情報が氾濫しすぎた情報過多の時代に必要なのは、「思考する」ことである。氾濫している情報のなかから本当に必要なものを取捨選択し「思考して」扱うことが重要である。

現在、社会基盤整備をしていくために高度情報化へのインフラ整備を進められているが、整備されればされるほど「思考力」が必要とされる時代がすぐに来るであろう。「知識社会」の到来である。いずれはさらに高度な専門的知識を必要とする人材がサテライト的に地域や企業に必須とされる「高度知識社会」の時代がすぐに到来すると予感がする。

建築業は経験工学的であり、人間同士のコミュニケーションで成り立つ業種である。便利な世の中であるが、建築はボタンひとつ押したところで成り立たない。幾重にも人の思考や動作が重なりあって成就する。ある意味でアナログ的良さが存在する業種である。人材が頼りである業種だ。

人間力のすばらしさを再認識する為にも、建築に携わる若い設計者と現場技術者が「思考力」を武器に骨太に育つことを強く望む。

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February 28, 2005

◆建築設計者と現場技術者に今強く思うこと(前編)

最近の建築物は現代版数奇屋建築といってもいいくらい各部材を細く見せるのが流行っている。
全体コストを抑えるために特にスチールやステンレスアルミのJIS規格型鋼を直接利用して型のエッジを見せる手法が頻繁に利用されている。また、他の建築材料でもいわゆる見附寸法やチリ寸法をできる限る小さく見せるディテールも流行っている。出来栄えとしてもかなりシャープに見えなかなか格好のいいものである。

しかし、イメージや意匠を優先し、ディテールの描けていない図面を平気で差し出す設計者がなのかにはいる。困ったものだ。あとはゼネコンや工務店が考えてね...。と言うことなのだろうが、もってのほかである。そういう設計図にはやはり建築的に納まっていないものや、設備やFFEとの調整がついていないものが多い。設計そのもののコンセプトを疑うこともある。

現在の情報化時代では様々な建築施工例が紹介されて、我々はたやすくその情報を得ることができます。最新技術や最新の建材、海外の建築家等の情報も知ることができます。それらを様々なメディアを用いて自分の目で見て応用したり理解し研鑽していくことや自分の技術やスキルに付加し新しい価値を見出していこうとすることは、豊かな生活空間を創りあげていく上で有効であり、今の時代の特権であると思う。また、大いに利用できるものは活用すべきあると思う。

が、そっくり見た目だけを真似してプレゼンテーションレベルの技術で「これが私(我々)が考えた空間です」と主張しているのはちょっとどうかと感じる。以前も主張したが、基本的に建築はデザイン主体であってアートではない。顧客要求を的確に捉えそれを空間にしていく技術が「建築」であり、その他時代背景、環境や地域性、コスト、時間等を考えてデザインしていくものである。だから建築はストイックな中から数々の洗礼を受けて形状化されたものであり、そこには必ず幾つかのコンセプトがある。

好みの形を模倣するのみでは建築デザインとはいえない。一方、アートは自由は発想で自己主張をする表現手法である。だからアートと言えそうであるが、模倣のみはアートでも何でもない。アートには表現力に生命力や感情が存在するからだ。芸術性を感じるのはそのためである。しかし、模倣にはそれが無い。見た目を真似した空間は自己満足的なエゴのみがあるような気がする。現在、溢れた情報に翻弄され、設計者にエゴイストが多いのではないだろうか。

設計者達はもっと建築的な基本ディテールを知るべきである。基本もわからないまま体裁のよく見た目のいいデザインを創ろうとしている感がある。その形のコンセプトや成り立つための下地や構造的な強度、性能性、安全性、メンテナンス性を深く考えるべきである。特に若い設計者達はそう感じさせる方が多い。

最近、一級建築士の資格を取るのに難しくはなっていると聞いている。そこで予備校みたいなところに通って試験合格のテクニックを覚え資格を取得することが多いという。もっと「ものづくり」の原点を知るべきであると痛感する。資格取得に現場経験を条件にしてはどうかと思う程である。

しかし、一方、その現場にも最近おかしな現象が起きている。
(つづく)

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February 22, 2005

◆建築家のメモ

昨日紹介した「デザイナーと道具―アイディアを客観化する道具展」と似たような感覚で見て楽しめる書籍がある。それは昨年10月に発行された『建築家のメモ メモが語る100人の建築術』(丸善㈱)である。メモは「創造の瞬間」を表出したものとして紹介されている。頭に浮かんだインスピレーションを形に変換されたものである。中にはエスキースしすぎた洗練されたものや完成度の高いものもあるが、気ままに書いているスケッチのほうがアナログ的感覚であり見ていて楽しい。

大変失礼ではあるが、有名な建築家もこんな程度のスケッチを実際の形にしているの!と言うのもある。若く建築家を目指す方には大いに参考となる一冊となるであろう。建築家でない人にとっても大変興味を惹くこと間違いなしだ。
また、建築家の顔写真も掲載されているので、あまり建築家の名前と顔が一致していない方は建築雑誌を持つ片手にあると便利な一冊もある。

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February 21, 2005

◆鉛筆が活躍:デザイナーの道具

銀座松屋で開催していた「デザイナーと道具―アイディアを客観かする筆記用具展」を見に行った。
日本を代表する44人のデザイナーが日頃アイディアやデザインを具体化する時にしようしている筆記用具を紹介していた。そこで圧倒的に使用されていたのが鉛筆だ。

筆跡から思い思いの雑記帳に鉛筆でイメージを書いているその筆跡には勢いがあった。鉛筆の削り方も恐らくひとりひとり異なるであろう。鉛筆とはいえその使い方が千差万別なのだ。濃さ、タッチ、速さ、大胆さ、色、表現方法どれをとってもやはり個性あって圧倒される。言葉ではとても表現できない。デザインはこうした即興の勢いで生まれるのだろうなとつくづく思う。

なかには書道家の方やコンピューターグラフィックを使って自分の頭の中にあるイメージを出力させる方も紹介されていたが、身近な鉛筆がここまでいろんな表現力に君臨しているのを見るとワクワクしてくる。不思議なものだ。鉛筆を無意識に持ちたくなるような気になる。

残念ながら開催は今日まで。アナログ的感覚の芸術性を多くの方に実感してもらうためには、再びどこかで開催されることを願いたい。

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February 17, 2005

■アナログ主義宣言(2)

人間の心や体、精神・肉体は操作ボタンひとつで出来上がったり、成長するものではありません。他人とふれあい、努力や苦労し、汗や涙を流してこそ、一歩ずつ成長していくものではないでしょうか。
高度情報化時代の恩恵を受け、物質的には豊かになりましたが、真の意味で人が安心して安全に心豊かに暮らす為に、個々人が内面的にブラッシュアップを心掛けていく必要があると思います。

さらには、世代や国家を超えて人と人とが情操教育やコミュニティ活動、ボランティア活動を通じ交流する事により、様々な思想、考え方、喜怒哀楽に触れ、豊かな感性や俯瞰的な視野や地球環境を配慮した視野が養えるでしょう。

高度情報化社会において、あたかも近隣のごとく地球規模の地域の情報交換がされています。今後さらに発展する情報化・国際化社会において、各コミュニティ社会の中でリーダーシップをとる人材には、豊かな感性やグローバルな視野能力が必要不可欠な能力のひとつです。そういったボタン動作では備わらない、自発的に行動をおこす事により経験的・体験的に備わる能力が、これからの時代では最も人々が必要とされる大切なもののひとつではないでしょうか。

しかし、日常において『自発的に行動をおこす事』は、意外と面倒なことです。
ですから、ちょっとした身近な生活の中から自己表現できる行動や活動からはじめてみることが大切であると感じます。そうすることで、多種多様な情報が氾濫し個性が失われつつある社会生活において、自分らしさを発見でき、ひとつの新しい快感を取得することでしょう。同じ様な教育・職場・生活環境から半歩でも一歩でも抜け出して、真に個性ある生活空間でゆとりある心豊かな暮らしを実現したいものです。

私は建築技術者です。今まで『建築』を通じて生活空間に密着した、人間が本来必要である『各自が個性的な知恵を絞り、汗をながして創り上げ、完成を喜び、馴染み深く使いこなす』というアナログ主義的な生活手法を現場で学び経験的に身につけてきました。

そこで、先ずは身近なことから、ちょっとした工夫・提案・発想から生活空間を変化できそうなものを、アナログ主義的なアイテムや情報を、このブログで発信していきたいと考えています。
もちろんアナログ主義ですので、私自身の五感で確認したうえで、紹介していきます。
時間がかかるかも知れませんが、いろんな方々と交流したり、意見交換し少しずつ成長していこうと思います。

―人とふれあう経験・体験の中から本当の『自分らしさ』を発見しよう―
―コミュニケーションから生まれる人間力の魅力を再発見しよう―
それが、ここで主張するアナログ主義です。

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February 15, 2005

■アナログ主義宣言(1)

高度情報化時代の現在、多種多様の情報が容易に入手できる様になり、それにより生活スタイルはかなり急激に変化してきました。より良いものを、個性にあったものを選択して生活スタイルに取り込むことが可能になりました。また、情報がスピーディーに行き交う事により、商品・製品の平均的品質水準等もかなりレベルアップし、低コストにもなりました。

しかし、現実にはそれらの情報を上手に活用している人々はまだ充分とは言えません。高齢化社会でもあり、また長く不況が続いた背景も重なり、情報端末の環境整備はもちろんのこと、あふれる情報を上手く取り入れたり整理したりすることが不得手のままでいる人は少なくありません。また、情報の活用し方も、なんとなく信じている情報マスメディアに頼り、そこから送りだされる情報に便乗して単純に同調しているのことが大変多い様に見受けられます。

高度情報化に対応しなくてはならない建築施設や社会基盤が必要である傍ら、生活空間において個々人が個性ある豊かな暮らしをする為には、もっと身近な空間に自己発見のできる機会を作ったり、従来の近隣コミュニィを重視し、人々がふれあい意見交換できる場を築き、むしろそういった『自分らしさ』を表現できる環境作りや活動が活発化することが大切であると思います。

一方、残念ながら、生活水準が向上した割にはそこに住む人々の心や精神レベル等の内面性までが全体的にレベルアップした訳ではありません。実際に、なんら不自由の無い生活を送っていても、すぐ身近に隣人殺人、誘拐、自殺、ドラッグ、売春、少年犯罪、ストーカー等の心の屈折が原因となる事件が発生し、社会現象として急激にクローズアップされてきています。一昨日も、非情な事件が大阪寝屋川の小学校で発生しました。許しがたい事件です。その背後には犯人の生活背景には何があったのでしょうか?テレビ・新聞などの報道では、犯人が小学校時代からゲームマニアであることが強調して伝えられています。

多くの生活の行動がボタンひとつやマニュアル通りで、ゲーム感覚のように不自由なく過ごす事が可能となってきましたのが、機械的な殺伐とした社会を創りだした原因のひとつだとも言われています。無機的なデジタル式の生活に空虚感を覚え、自分自身を見失ってしまっている様に見受けられます。注意していただきたいのは、ゲーム自体やそういった便利な生活そのものが決して悪いと言っているのではありません。便利になってきた分、やはり、自分らしさを発見できる行動を自らポジティブに、自発的に行う時間を個々人が持ち、コミュニティ豊かに暮らすことがまさに必要なのではないでないでしょうか。
(つづく)

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