August 02, 2015

新国立競技場建設/ゼロベースの計画見直しから言えること

新国立競技場の建設がゼロベースで見直しされることが決まった。
少子高齢化の加速する日本にとって、今後巨大でメンテナンスコストを多大に費やす施設はやはり造らないほうが適切な判断である。

しかしここで最も残念であった点をあげておく。それは今回の計画見直しは市民団体の意見から発したものであり、これまで関わってきた建設業界の専門家の面々が多数いるのにもかかわらず、直接の建設関係者から冷静な意見が発せられなかった点である。
当初、騒動になる前に建築家の槇文彦氏の的確な問題提起があったが、今回の建設計画に直接関与していた訳ではない。

デザインコンペ、基本設計、実施設計段階のいずれの段階においても、時代にあったものか否かを直接の建設関係者の中から疑問視する意見が公に発せられた経緯はない。オカシイと判っているのにもかかわらず貝のように沈黙を保っていたほうが、巨大国家プロジェクトに携われる名誉が得られる点と大きな利鞘利がまわってくる点を確信していたからというのが本音ではなないだろうか。

復興五輪を謳い招致が決まった背景でメインスタジアムとなる公共施設として本当にふさわしい施設なのか、今後の超少子高齢化社会を迎えるにあたり持続可能な社会構築を鑑みれば、冷静な有識者であれば判断できるはずだ。にもかかわらず…なのである。

発注者側や設計に携わった建設関係者は、大局観を見失って猪突猛進してきた点は大いに反省すべきてあろう。

コストが増大した直接の問題点は様々なマスメディアが報道している通り、
①発注者側の専門知識不足と責任者の不在
②設計者の技術不足
③実施設計を施工者が支援したことによる競争入札原理の喪失
④建設関連コストの増大
があげられるが、いずれにしても直接の関係者による俯瞰的視野さえあれば、「このプロジェクト計画は誤っている」と途中段階で冷静に判断できたであろう。

今後は発注者の立場であれ、設計者の立場であれ、施工者の立場であれ、建設業に携わるものは少なからず何かの専門家であるか技術者であることには変わりないのだろうから、俯瞰的な視野や客観的な判断能力を備える力量をもつ人材が不可欠である。

社会や環境に重大な影響を与えることを十分に認識し、業務の履行を通して持続可能な社会の実現に貢献する、倫理観をもった人材が活躍できる社会地盤を作り上げていくことも必要である。

特にオリンピック景気をいいことに建設業界は有頂天になってはならない。今回の件で襟を正し、頭をリセットすべきである。

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May 12, 2014

新国立競技場/伊東豊雄案について

今夜、緊急シンポジウム「新国立競技場のもう1つの可能性」を拝聴してきました。目玉は建築家の伊東豊雄氏による「改修国立競技場提案」を公表するというもの。

内容は、私がかねてより案内してきたものコンセプトはほとんど一緒でした。

現在の国立競技場を一部解体せずに残して、陸上競技場を9コース確保した上で、スタジアムを拡張するという計画。エキスパンジョイントの話も出ていました。

私の案は、「神宮外苑と国立競技場を未来に手渡す会が主催する」共同代表の森まゆみさん達に今年の1月15日にメールで案内していました。また私自身は建築技術者ですので、その裏付けを確認するために独自で現地を取材し、整理してまとめたものをブログで3月31日に情報公開しています。さらには、本日のシンポジウムで登壇されていた森山高至氏がブログを4月20日にtwitterでリツィートしています。

リツウィートのURLはこちら(↓)
http://bit.ly/1qw4hLr


一方、伊東豊雄氏の案では根本的に、①開閉屋根が無い点と②既存スタジアムを残すエリアが3分の2ほどある点③ザハ・ハディドのデザインを全く踏襲していない点、が特徴である。
独自性があるようで、実は現実の条件をと比較すると乖離しており、非現実的ともいえる。

その理由としては、
①開閉屋根が無い点では、その有無については議論が必要であるが、少なくとも観客席全域には屋根が必要と考えている点で大きく異なっている。国際的な競技を行うスタジアムのバックストレートで屋根が無い施設は時代遅れではないだろうか。。
②既存エリアを残すエリアが3分の2ほどある点では、実際には非現実的である。陸上競技のコースを面積的に9コース確保するだけではNGであり、アスリートが安全に競技できるように余裕のアスリートはアスリート同士が接触したり、勢い余ってコースアウトすることは多々あるからだ。
③デザイナー建築家としての意地があると思われるが、様々なプロセスとコンペを通じて決定された案である点を無下にしている。
と言えます。

競技場の改修については様々な実績事例があり、有能な技術者が集結すればもっと優秀な改修案ができるはずであるが、日本の建築業界の実情で発案側の設計者集団や建築家には真の技術者が不在傾向にあることが原因であると思われる。

いずれにしても根本的に本件にてついては、公共工事でありながら説明責任や市民とのコミュニケーションに乏しい点と建築業界において技術者達ががこの問題に無関心で真剣に考えておらず情報発信もしていない点が起因しており、根深いものだと考えている。
本日の登壇者たちが述べていたが、東日本大震災の復旧において無意味な巨大防波堤を築こうとしている現状とこの問題は大変似ている。

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May 11, 2009

熱い想いと手入れの行き届いたモノは伝承される…

映画『グラン・トリノ』を観てきました。まさに現代版ウエスタン映画でした。

特にウェスタン映画を連想させるのは床屋でのシーンからラストにかけてのシーン。様々なウェスタン映画でも床屋のシーンがありますが、“グラン・トリノ”ではさながらクリント・イーストウッド演じる頑固老人ウォルトは意を決した決闘前のマカロニ・ウエスタンの様でした。
いつも気心知れていた床屋の親友にも散髪しかさせなかったのに何も語らず髭を剃らせたことで、そこには生と死に対しての決意が秘められていた気がします。

かたくなまでに自身の生き方を貫くウォルトの生き様は、クリント・イーストウッドが関わってきた映画で訴えてきた社会問題(戦争、犯罪、家族、人種差別…)を一気に再びフラッシュアップさせます。しかしながら現代社会で解決しえていない問題を一気に連想させる一方で、想いのこもった愛車“グラン・トリノ”が引き継がれラストで遠く街に消えていく様子は、若い世代に希望を託していることがわかります。
荒野に自分が育てた若いカウボーイがサラブレッドにのって走り去るように見えました。グッと考えさせられるところがイーストウッドらしく渋いです。

自身の仕事に誇りを持ち、携わった仕事の結晶である愛車“グラン・トリノ”を手入れするために数々の道具をガレージに揃え何年も大切にしてきたライフスタイルは、今の社会ではあまり見受けられなくなってしまっています…。
今の便利で楽なライフスタイルがよいのか悪いのかわかりませんが、車の購入意欲すらない現代の草食系男子にとっては道具にこだわり大切なモノをずっと手入れし続けるライフスタイルは、スマートでなく不器用な生き方なのかもしれません。

家の手伝いやメンテナンスについてもその傾向にあります。映画のストーリーの中でウォルトが少年に家の手入れの仕方を教える場面がありましたが、やはり現代社会が忘れかけているライフスタイルの一つでしょう。

思えば伝統ある名建築は当然そこに携わる人たちが想いをこめてメンテナンスを繰り返してきたからこそ今そこに存在しています。
また今、老舗旅館での仲居さん達の“おもてなし”が秘かに注目されていますが、それは直接宿泊客に対する接客態度そのものでなく、そこに行きつくまでの日々の陰なる老舗旅館への想いのこもった手入れのきめ細やかさが原点である点に注目しているのです。
日頃のそうした心をこめた手入れができていなければ、宿泊客の接客などはできる訳がないという老舗旅館の女将さんの考えが実はそこにあり、だからこそ老舗旅館にリピーターが健全に存在しているというのです。

不器用ながらでもキチンと気持ちをこめて家や建物の手入れをする。大事なことですよね。伝承させねばいけない建築文化です。

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May 01, 2009

荒々しくも丁寧につくられたテクスチャー

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以前にも紹介していましたが、大好きな建築のひとつに軽井沢の“石の教会”があります。設計はフランクフロイド・ライトの弟子であるケンドリック・ケロッグ。星野リゾートの中にあります。しばらく行っていませんでしたが、数年前から外構が少し整備されていたんですね。

既存の石の教会がのファサードに合わせて、外構の構築物も連続的な同様の荒々しい躯体打ち放しの仕様とするために、ラス型枠をうまく利用して建築されていました。
荒らしいファサードですが、丁寧に作られているのがよくわかります。

また、打ち放しコンクリートの仕上げとなると普通は無機的なものとなってしまいますが、よくここまで有機的に仕上げたものだと感心してまいます。
設計者の意図を組んでその意志が伝承され、建築物の周囲にぴったりと当てはまる外構を整備され環境を整備していくことの時空を超えた事業にグッときてしまいます。

有機的建築を目指す方やフランク・ロイド・ライトのファンの方は是非、実際に訪れてご自身の目で観て戴きたい建築です。

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April 17, 2009

“建築”を通じて知る感動と夢の喜び

ひょんな繋がりからある方を通じて知った「D-School」。
~夢を抱く世界の子供たちに投資をする「D-School」プロジェクト~の第一弾の企画である“みんなで寄付金をあつめて学校を建ててしまおう”というプロジェクトがついに実現しました!というお知らせが、このほど幹事さんからのメールで知りました。

フィリピンに「ヒパラヤン小学校」の校舎が完成したとのことです。その落成式の様子が「D-schoolブログ」で閲覧することができます。地域の人達が総出で学校建築の落成を祝い、喜ばれている様子は感動ものです。

わずかながらですが小生も寄付金を出資しており、「D-schoolブログ」を通じてその感動を分けていただくことができました。寄付者の名前が刻まれたネームプレートは、学校の壁に半永久的に飾られます!とのことで、恥ずかしさ反面、嬉しさ反面…。
でも率直に“建築”を通じて多くのひとに感動や夢を与えることができるのは、なんとも言い難い喜びです。

今、日本の学校建築においても実は課題がいくつかあります。そのひとつが「耐震化」の遅れ。必要なものにスピーディに投資されない日本の現在の公共事業。海外の建築投資に関わるチャリティの経験から、日本において何か忘れかけているものを感じました。

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March 01, 2009

不便さが真のコミュニケーションをつくる

今朝のテレビにて安藤忠雄氏の事務所の様子について紹介されていました。
先日聴講した『安藤忠雄/組織の条件 リーダーの条件』の講演でも安藤氏自ら話をされていましたが、安藤忠雄氏の事務所のレイアウトは、出入口付近に安藤氏が居座り、そのすぐわきに5台の電話とFAXそれに唯一メールのできる1台のパソコンがあるのだそうだ。

ですから、事務所に誰かが訪れたときも所員が出かける時も、電話での仕事のやりとりなどすべてその様子を傍で肌で感じ取りながら仕事をしているのだそうです。そして、所員が外部とコンタクトしているときの様子で仕事が順調にいっているのかどうかがすべて安藤氏はわかるといいます。実にアナログ的です。所員の方々もそんな安藤事務所を“道場”と語られていました。
でも、そういった不便さから所員間や師弟関係の真のコミュニケーションと信頼関係が生まれるのではないかと感じました。

メールのやり取りでだけでは、相手が本当にどのように思っているかわからない。だからメールのやりとりは極力限定してしまう。あくまでも生の声での会話が主体。国際的に活躍されている為、当然英語教育にも熱心で、所員と一緒になって英語のレッスンを受けている様子も紹介されていました。
安藤氏は“心と心と心が通じ合うコミュニケーション”が今の時代必要であると語られています。

一方、先週の新聞報道で、子供の携帯電話の使用実態について文科省が調査結果をまとめたものが発表されていました。それによると、中学校の3人に1人が1日30通以上ものメールのやり取りをするなど「携帯依存」の様子が浮き彫りになっており、親子間の意識のズレが生じていることが指摘されていました。
掲示板での悪口を書かれたり、迷惑メールに有害サイトへのアクセス。簡単かつ便利に外部とのコンタクトがとれる弊害として様々な問題が発生しています。

昔のことを言ってもしょうがありませんが、我々が若い頃は恋人と話を電話でするために大変な苦労をしていた一方で、話せたときにわずかな時間のなかで気持ちのこもった会話をしていた様な気もします。
真のコミュニケーションができていない世代への携帯電話の利用ルールは、やはり親が安藤忠雄化しないとダメな気がします…。

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December 01, 2008

原点の空間から感じたこと

Ando_tadao_kenchiku_tenギャラリー間で開催されている『安藤忠雄 建築展』に行ってきました。
もちろん話題となっている大阪下町の「住吉の長屋」の原寸大模型を拝見するのが最大の目的です。

でも、拝見するまではあのギャラリー間の空間でどのように展示してあるのだろうと不思議に考えていました。
わくわくしながら、展示スペースに入ってみると、大胆にも3階の中庭と展示スペースを突っ切って展示されているのに驚きました。
なるほど...。思い切った展示に関心です。

また、原寸でも模型であるにもかかわらず、一部に本物のコンクリートの打ち放しを用いていましたのでさらに驚きました。(安藤忠雄氏も本物と同じくらいコストがかかったのでは?とコメントしたそうです。)
全体の8割くらいでしょうか、実際にはラワン合板でその模型は実際に構成されていましたが、打ち放しの型枠割り付けとPコンの割り付けは忠実に再現されていました。

空間構成は雑誌等で周知していましたが、実際の空間をこのように体験できるのは大変貴重である気がします。
というのも安藤忠雄氏もコメントしているように、現在設計手法は便利にもデジタル化され、なかなかアナログ感覚に空間をとらえる機会が少なくなってしまっているからです。

[挑戦―原点から―]という展示のサブタイトルでもあるように、この空間に安藤忠雄氏の原点があるのだな…と思うと感激です。また施工当時に描かれたと思われる設計図の青図も展示されていいました。本人ではなくスタッフによる作図せすが、ていねいに詳細を描いた手書きのタッチが印象的でした。

コルビジェが閉鎖された空間の壁からトレミングされた開放的な空間へのこだわりが強かったののに対して、安藤先生はドライエリア建築的に閉鎖された空間から天窓へ広がる空間へのこだわりが強いのではないかと以前より考えていましたが、それを実感した様な気がします。

また他にも「光の教会」の模型や計画中の「モンテレイ大学RGSセンター」や「アブダビ海洋博物館」の模型が図面やコンセプトとともに展示してあり、閉ざされた空間から空に抜ける空間へのこだわりがわかりやすく表現されていました。

展示会にたまたま私が行った時は秋晴れの時でしたので、今度は開催期間中の土砂降り雨の時になんとか都合をつけて、リアルな空間を体験させて戴こうかなと考えています。
東京では、12月20日までの開催となっています。


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September 27, 2008

アナログ的イラスト画法の勉強法

先日、手書きパースを紹介しましたが、建築に携わる者としては当然アナログ的な絵のセンスが必要です。
その絵のセンスを磨く上で、ここ最近たいへん勉強になるのが、YouTubeにみる「Speed Paiting」。
みるみるうちにリアルなイラストを描き上げていく様は、圧巻です。

ひとつ紹介しておきますが、本日から封切りされた映画「アイアンマン」をモデルにした「Speed Paiting」。
グラフィックソフトでデジタル画像として描いていますが、そのタッチはアナログ的な感性そのものです。

タブレットを使用して描かれているのは間違いないでしょうが、描くリアルなタッチはホントに凄いです。
是非多くの方にイラストを描く臨場感を味わっていただきたいです。

描く速さは速度を速く巻いている映像にしたいていますが、それにしてもこんなに上手にリアルに描けたらどんなに楽しいでしょう…。

YouTubeでは、他にもいろんな「Speed Paiting」を探して見ることができます。神業に近い絵心を持った方が世界にはたくさんいらっしゃるのですねぇ...。それにも驚きです。


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September 01, 2008

味のある手書きパースの魅力

Exhibition2008銀ブラしていたら伊東屋の9Fギャラリーで日本アーキテクチュアル・レンダラーズ協会主催の「建築パース2008展」が開催されていましたので、拝見してきました。
私的に大変気に入ったののは海法一夫氏の手書きのパースです。特に社寺建築のパースが日本らしさを演出する侘(わび)寂(さび)の風合いを出した色づかいで描かれていました。

3DCADが幅を利かす今の時代。非常に温かみを感じる作品にアナログの良さを再認識したひと時でした。こんな具合にパースがサラサラっと描けたらいいでしょうね。
「建築パース2008展」は、東京では3日水曜までの開催ですが、その後大阪~名古屋~九州(熊本)で開催される予定です。

【参考】海法デザインWEB:http://www.kaihoh.com/Main.html

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January 07, 2008

北斎パワー圧巻...

Hokusai_ten_2まだお正月気分が抜けず、日本的な文化に触れたくて現在江戸東京博物館で開催している『北斎展』の特別展示の数々を拝見してきました。

冨嶽三十六景等で知られる江戸時代の絵師ですが、その多くは版画でしられていますが、今回の特別展示では肉筆画を間近で観ることができるのが大きな特徴です。

版画とは違った深みのある色のグラデーションのつけ方や鮮やかな原色を用いた肉筆画は、弟子たちが描いたものとその技量と絵心の深さの違いを比較してみることができ大変興味をひきました。

江戸時代ですから当然写真等のメディアのない時代に、こんなにも音が聞こえてきそうな風景描写や動きのある風俗描写を筆にてできるものだと、ただただ感動…。なんと言っても北斎の場合は、遠近感を前面に出した構図のとりかたが天才的というか、神業的に感じます。

冨嶽三十六景の駿河湾の大波の狭間から見える富士山を描いた『神奈川沖浪裏』は、誰しもが知るその代表的な構図です。他にも冨嶽三十六景には意外な空間から見える優美な富士山を描いています。また、そのように描くことで江戸時代に働く人の姿や風俗・文化を浮き彫りにして表現していたのでしょう。

そんな冨嶽三十六景の中でも、建築と富士を対比的に描いている代表作『東都浅草本願寺』は私の大好きな作品です。近景に見えるおおきな屋根の勾配と遠景の富士山の優美なスカイライン、それに加え江戸の町の甍の上の空間に粋に浮かぶ凧が描く糸のラインとが見事に調和し、江戸の町の雰囲気がよく伝わってくるです。よくみると屋根の上で懸命に仕事をしている職人さんが描かれています。

Hokusai_manga_ten_2版画の一つ一つの作品は想像していた大きさよりも小さいものでしたが、観ていくうちにその作品の多さにも圧倒されてしまいました。ひとつひとつの作品で観る、繊細な線の引き方とその潔さ、色の変化やぼかしのつけ方の粋な技量は、写真や復刻版でみるのと全く異なります。

さらに驚かされたのは、北斎漫画を描いたのは55歳の時で、冨嶽三十六景をまとめたのが72歳の時であったと知ったことでした。老年期に自身を「画狂老人卍筆...」と名乗っていただけに、北斎の絵に対する熱いパワーを直に感じます。特に80歳を超えて描いた掛け軸の『雪中鷲図』は、北斎の全身全霊をかけて描かれた作品の様に感じ、呆然と立ち止まって見入ってしまいました。

デジタルツールの発達した今の時代、北斎の圧倒的なアナログ的パワーを見せ付けられ、現代において足らないものをおしえていただいた気が致しました。江戸文化が生んだ北斎、日本の誇りですね。

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