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November 16, 2006

「知足」の心を演出する小宇宙

先日、新聞記事の広告に龍安寺の蹲(つくばい)のことを取り上げたものがありました。
徳川光圀が寄進したと言われる『吾唯足知』(ワレタダタルヲシル)と書かれた石造りの手水鉢です。

Tsukubai_1古銭の様な形をしたもので、中央に四角い穴が開いています。その四角い穴で手水が取れるようになっていますが、その穴こそ「口」の字を示しており、四方に「吾」「唯」「足」「知」という字をあしらいデザインされており、そこに小宇宙の存在を感じさせる蹲です。(イメージが沸かないかたは、こちらの判りやすいWEBを参考にどうぞ)

『吾唯足知』の意味は、「知足」の心をあらわしています。新聞広告記事を代用いたしますと、「知足のものは、貧しと言えども富めり。不知足のものは富めりと言えど貧し。」と説いています。要するに物欲に溺れることなく、心豊かに暮らせよ、というものです。

私の場合、バブル期に坪350万円ほどもの予算で東京赤坂の料亭の施工に携わっていた若い時分、この蹲と初めて出会いました。もう15年以上も前のことです。工期が厳しく竣工間際の深夜にこの蹲の施工を行いました。坪庭に据え付けたのは、だいぶ年配の造園職人の親方で、「お前さん、この蹲の意味を知っているかい?」と尋ねられ、その意味を作業の終了する明け方前にじっくりと教わりました。今どうしているのかわかりませんが、その親方のことを思い出したいへん懐かしくなりました。

思えばこの1年間ほど、マネーゲーム化ともいえる株の取引をめぐる事件やM&Aの時事問題がたくさんありました。また、さまざまな企業の不祥事から、コンプライアンスを重視する経営が主流となっていることは言うまでもありません。坪庭の空間にひっそりと水を湛えて潤うこの蹲の意味するものは、俗世間から離れた哲学的な世界です。まさに禅の世界にふさわしいものです。

四季にあわせて変化する自然の風景とは異なり、ただひたすらにドッシリと構える蹲。水面に四季を写すことはあっても、蹲そのものに四季にあわせた変化はありません。蹲と苔から連想する、しっかりとした座標を持った自身に存在のあり方を知る意味の大きさに気づかされます。日本庭園の空間演出手法の奥深さを知ると、庭を見る目もなかなか変わってくるものです。

※写真は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より拝借しました。

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