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February 28, 2005

◆建築設計者と現場技術者に今強く思うこと(前編)

最近の建築物は現代版数奇屋建築といってもいいくらい各部材を細く見せるのが流行っている。
全体コストを抑えるために特にスチールやステンレスアルミのJIS規格型鋼を直接利用して型のエッジを見せる手法が頻繁に利用されている。また、他の建築材料でもいわゆる見附寸法やチリ寸法をできる限る小さく見せるディテールも流行っている。出来栄えとしてもかなりシャープに見えなかなか格好のいいものである。

しかし、イメージや意匠を優先し、ディテールの描けていない図面を平気で差し出す設計者がなのかにはいる。困ったものだ。あとはゼネコンや工務店が考えてね...。と言うことなのだろうが、もってのほかである。そういう設計図にはやはり建築的に納まっていないものや、設備やFFEとの調整がついていないものが多い。設計そのもののコンセプトを疑うこともある。

現在の情報化時代では様々な建築施工例が紹介されて、我々はたやすくその情報を得ることができます。最新技術や最新の建材、海外の建築家等の情報も知ることができます。それらを様々なメディアを用いて自分の目で見て応用したり理解し研鑽していくことや自分の技術やスキルに付加し新しい価値を見出していこうとすることは、豊かな生活空間を創りあげていく上で有効であり、今の時代の特権であると思う。また、大いに利用できるものは活用すべきあると思う。

が、そっくり見た目だけを真似してプレゼンテーションレベルの技術で「これが私(我々)が考えた空間です」と主張しているのはちょっとどうかと感じる。以前も主張したが、基本的に建築はデザイン主体であってアートではない。顧客要求を的確に捉えそれを空間にしていく技術が「建築」であり、その他時代背景、環境や地域性、コスト、時間等を考えてデザインしていくものである。だから建築はストイックな中から数々の洗礼を受けて形状化されたものであり、そこには必ず幾つかのコンセプトがある。

好みの形を模倣するのみでは建築デザインとはいえない。一方、アートは自由は発想で自己主張をする表現手法である。だからアートと言えそうであるが、模倣のみはアートでも何でもない。アートには表現力に生命力や感情が存在するからだ。芸術性を感じるのはそのためである。しかし、模倣にはそれが無い。見た目を真似した空間は自己満足的なエゴのみがあるような気がする。現在、溢れた情報に翻弄され、設計者にエゴイストが多いのではないだろうか。

設計者達はもっと建築的な基本ディテールを知るべきである。基本もわからないまま体裁のよく見た目のいいデザインを創ろうとしている感がある。その形のコンセプトや成り立つための下地や構造的な強度、性能性、安全性、メンテナンス性を深く考えるべきである。特に若い設計者達はそう感じさせる方が多い。

最近、一級建築士の資格を取るのに難しくはなっていると聞いている。そこで予備校みたいなところに通って試験合格のテクニックを覚え資格を取得することが多いという。もっと「ものづくり」の原点を知るべきであると痛感する。資格取得に現場経験を条件にしてはどうかと思う程である。

しかし、一方、その現場にも最近おかしな現象が起きている。
(つづく)

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